家族を紡いでいくこと

私は、家族写真を撮るのも、撮られるのも大好きです。

家族写真の依頼をいただくと、心から嬉しい。

小さな子がいたら中腰になって、お祖母様がいらしたら手を伸ばす。そんなお互いを思いやる風景を間近で見せていただいてます。そして、みんなが笑っている。けれども街に住んでいると、三世代や四世代が一度に揃うことは少なくなってきているのではないかと思われます。「家族で写真を撮ろう!」と改めて思い集まることそのものが、「家族を思う」ことに繋がっているのではないかと思いました。

それは、のちに生まれるであろうこれからの家族へも遺せるものの一つであるし、きっと、それは見る人の心を支える一つになりえるんじゃないかと思えるのです。

私の主人が、本堂で法話をするとき、目に見えないご先祖様のはなしをするときがあります。そんなとき、私は写真が想いを馳せる助けになっているところを何度も見ました。

かといって、日々、写真を撮ることに躍起になるのもどうかと思います。撮る行為と、日々を過ごす行為は違うからです。かくいう私も、撮る側だと自分は写らない。。。私の自分の家族写真は、私が写っていることが少ないため、子供達に「この時、ママどこなの?」と聞かれることも。ママ、撮ってるんだよ。だから、私もそろそろ家族写真、撮ろうか!そう思ってます。改めて思い立つ、そんな行動がバランスが取れて丁度いい。

そんな思いから、私は依頼いただいたら、子供達に残したい、そんな家族写真を努めて撮ろう、そう思っています。