モンゴル

нутаг. 故郷。hometown.

私には、生まれ故郷や、地元と呼べる場所が無い。

もちろん、東京に産まれ育ったのだから、私の故郷は間違いなく東京なのではあるのだけれど、そこには私がイメージする故郷の面影が無い。つまり、土地と自分の繋がりを感じないということで、そこに行けばほっとすると言うような場所が東京にはないということなのです。また難しいのが、「思い出」として記憶される場所に思い入れはあったとしても、それが「故郷」にはなり得ないのです。

複雑な気持ちになる、私にとっての「故郷」。それが、モンゴルでのある会話がきっかけで気づいたことがありました。

私は、モンゴルの歌の中で「故郷」を歌ったものを聞いたり、モンゴル人が具合が悪くなったりすると「故郷へ行って寝転んで来ればいい」と言うような会話を聞いたりすると、ちょっと羨ましい気持ちになっていました。どれだけ、皆さんにとって故郷って特別なんだろう。いいな、そんな場所があって。

ずっとそう思っていたとき、若い兄妹と一緒に彼らの昔住んでいたという土地に行く機会がありました。草原生活をしていた昔の土地。

2人に「こっちこっち」と手招きされながら瓦礫の丘や岩を越えヨロヨロ、草原はまだかとおもっていると、兄のほうが「あったあった!これ、僕の岩!」そう言って、岩に登ってにっこり笑う。「あっちの方にも○○が~…」嬉しそうに話す彼ら。

いいなー、いい顔でお話してるな~。

そう思ったときに、「私も、私の岩あるよ!」と口をついたのに自分でびっくりしました。

思い出した。私の岩!産まれた場所でもないし住んでいた場所でもない。でも、沢山の時間を過ごしていたあの場所。いつでも、行きたい、何度でも行きたいと思うあの場所。そこにある私の岩!

小さな時から、父が建てた田舎の家に行くのが大好きだった。夏休みやお正月にそこで過ごすのが待ち遠しかった。帰るのを嫌がって泣いた事も覚えている。その家の近くの海沿いにある崖に、「私の岩」がある。私はその岩をよくスケッチしたり、イグアナのように日光浴したりして眺めていた。

あれは、間違いなく、「私の岩」だ!!

もう父の田舎の家は無いけれど、周りに繋がりある人が居るわけではないけれど、あの「私の岩」があるあの場所は、「私の故郷」と言っても良いんじゃないか?そう思ったモンゴルでの出来事だった。

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ずっと故郷が無いと思っていたけど、あの岩が私の故郷の1つと気付いてから少しずつ感覚が広がった気がする。

広がった視野のお陰でこれからも、きっと新しい「私の故郷」に気づいていくかもしれない。故郷が増えるならば、それはちょっと楽しみです。

皆さんも、「私の岩」など、ありますか?また、皆さんの故郷ってどんなところですか?機会があったら伺ってみたいです。

(写真:正にこれが「私の岩」玄武岩。水際のグラデーションがたまらない。)

Text by Kei Hompo

初夏のモンゴル訪問2017-2

バヤンウルギーからウランバートルへ戻り、中央モンゴル地域では、ちょこちょこ顔をださせてもらっている牧民さん家族のところへ駆け足で訪問しました。何度訪れても沢山のことが勉強になります。何度もなんども行くことで、やっと少しだけ「大地と共に生きること」がどういうことなのかということに近づけるのかも知れない、だから何度でも行かなければならないのです。でなければ、私は撮ることもできない。

そして、自然環境がちょっと違う地域、ゴビ地域へは10年ぶりでした。今回、牧民さんのお宅へは行かなかったのですが、そのかわりに、野生動物の住まう場所イフガザリンチョロー自然保護地域にて野宿してきました。改めて、「大地に住まうこと」を考えるのには最高のロケーションです。黙々と歩き、登り、下り。アイッベックスが猛スピードで岩山を駆け上がっていく様に、自身のひ弱さを気持ち良いくらい実感できました。人は、謙虚であらねばならないな、そう思わされる場所です。

しかし、テクテク歩く私が出会ったのは、大自然で勇猛に生きる雄々しい生き物、ではありませんでした。『大地に住まう母』たちでした。

初夏は、子育てシーズン真っ最中で、クロハゲワシの巣をたくさん目にすることができます。お母さんの足元には可愛いヒナが。私の姿を見て、お母さんは飛び立ちましたが、近くの岩山からじっとこちらを見張っているようでした。おっかない顔つきなのに攻撃することもしない。なんだか、ここに立って見ているだけで申し訳ない気分になる。もし私が子供たちに授乳してる時に、じっと誰か知らない人に、赤ちゃん可愛いねってじっと見られてたら嫌だわ、そう思うと早々に移動せざるを得ませんでした。

岩山をのろのろ登っている間、足元から小さな鳥が羽ばたいて行ったことが2度ありました。手を伸ばせば届く距離です。それが意味していたのは、卵を抱いていた巣があることでした。私が迫っても、ギリギリ、本当の生命の危機のギリギリまで卵を抱いていたということになります。覗き込むと、小さい小さい巣の中の卵はうっすらピンクがかっていてきっともうすぐヒナが孵ることがわかりました。

鳥の巣の本を読んで知ったのですが、鳥は飛ぶために体を軽くする必要があります。そのために、卵を一度にたくさん体の中に作らず、安全な場所に一つずつ産んで置いておける場所を体の外に作ったのが鳥の巣であり、巣は家ではなく、『お母さんの子宮』なのだそうです。

鳥の巣はお母さんの子宮。

鳥の巣の中の卵をみると、私の娘は目を輝かせます。何か特別なものを扱うような気持ちで接する存在のようです。私も何故が、心が動く。涙が出そうな気持ちにすらなる。

そうか、ママのお腹だったんだ。

写真を撮ると早々に移動したけれども、小さい罪悪感が残りました。

アイベックスも、私が出会ったのはオスの群れではなく、子連れのメスの群れでした。崖の上から私を見つめるお母さんの視線。どうやったら言葉の通じないあなたたちに敬意を表せるのだろうか。子育ての大きな揺りかごであるこの地に、わたしがお邪魔させてもらって、することが許されているのはそのまま立ち去ることだけのように思いました。

これら全て、実に私らしい出会いでした。もしかしたら、『大地に住まう母』に出会わせてやろうと、天が図ったのかもしれない。今一度、母の想いを考えるきっかけを頂きました。

このまま、全ての母が、心安らかに子育てできることを切に願います。

Text by Kei Hompo

初夏のモンゴル訪問2017-1

去年に引き続き、初夏のバヤンウルギー県と中央モンゴル地域、今回はドンドゴビ県へも駆け足で取材してまいりました。主に、ようやっと着手できたプロジェクトのためがメインでした。

兼ねてからのライフワークである、妊婦さん『大地に住まう母』を追いかけることによって派生した新プロジェクトです。

私は、カザフ人の生活に、お母さんの手仕事が根付いてることに静かな感動を覚えていました。

遊牧生活に欠かせない外着の「チャパン」。ハレの日には、カザフ文様の刺繍が施されたチャパンを着ます。街で既製品も売られていますが、お母さん、奥さんの手仕事で誂えられるものです。チャパンだけではなく、ハレの日の衣服全般に刺繍は施されています。

私は、この「チャパン」を通して見える世界を追いかけることにしました。

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そして、もう一つ。

カザフ人の地、バヤンウルギーで10年前に出会った「トゥスキーズ」。遊牧民の移動式住居、ウイの中、際立って目についた壁に飾られた刺繍布がそれでした。

この壁掛けは、お母さんから娘へ送られるものの一つです。奥さんたちが自分の家用にも誂えてます。いろんな想いが込められているんだよ、そんな話を聞きました。

お母さんの想いが、宇宙までつながっているように感じるトゥスキーズ。それを、私は自分の家族へのそれと重ね、母としての自分自身も含め、母の想いの形を追いかけることになりました。

妊婦さん『大地に住まう母』を撮り始め12年経過。沢山のことに出会いました。私にとって、全ては同一線上にあります。今回は短期間のモンゴルの西地域、バヤンウルギー県滞在でしたが沢山勉強になりました。

お披露目できるまで、少しずつ報告をしていきたいと思います。

旅の後半は次の記事に。

Text by Kei Hompo